出産記録(うんぎょん)

うんじが産まれて1ヶ月して、親子3人日本に渡った。もう二度と子供は産まない!と決心したはずなのに、すぐに妊娠してしまった。男の子を願っていたアッパのあまりにもの失望ぶりが可哀相に思えて、もう一回苦労しようと思った。

予定日は5月15日。うんじとは丸1年しか差がないことになる。私たちはブラジルに行く予定になっていた。韓国まで一旦帰ってブラジルヘ。出発の前日、もしやと思い病院に行く。妊娠を確認。“アノー、先生私明日からブラジルに行くんですけど、、”

ブラジルまで飛行機に乗って丸1日かかる。“責任は持てない”という先生のお言葉だが、行かないわけにはいかない。うんじは2番目のお兄さん夫婦がみてくれるというので預かってもらった。
ブラジルでの滞在は1ヶ月以上。ちょうどつわりの時期で これまた大変だった。ブラジルは、韓国以上に食べるものがない(妊婦にとって)。その上マズイ。みるみるやせて 頬がこけてしまった。
唯一、日清のカップラーメンを見つけて 買いだめして少しずつ大事に食べた。しかし、日清のカップラーメンは世界中に広まってるナー。こんな遠いブラジルのしかも田舎にまで、、。カップのデザインも日本のものとおんなじだった。

無事、流産することもなく帰国。しばらく見なかったうんじは丸々として ひとまわり大きくなっていた。“ほんとに私たちのうんじ?”って感じ。
お兄さん達にお礼を言ってまた日本へ。臨月になるまで日本で過ごす。そろそろ出産準備を、、ということでマタマタ韓国へ。アッパは仕事の関係上一人日本に残る。うんじを連れて2人だけの帰郷。田舎で過ごす。

5月4日定期検診。うんじを産んだ産婦人科医院。ちょうどアッパも韓国に帰ってきていた。“もう少しで産まれそうですよ”という先生の声。じゃあ、アッパが日本に帰る前に産まれるように“運動しよう”と 山へ行った。山道を少し散歩。そして次の日、、、

5月5日は韓国でもオリニナル(子供の日)。朝からお腹が痛い。すぐに我慢できない痛さになったので、急いでアッパの車で病院へ、、、。アッパがいてくれてよかったー。車の中でも陣痛はますます強くなってくる。お兄さんの家に行った時は、10時近くになっていた。痛いのだが、これからの出産に控えてデニッシュパンを食べ、腹ごしらえをした。そういや、うんじの時もカステラを食べて行ったっけな。病院に行くと めまぐるしく部屋を移動し、分娩台に登った。

10時24分、うんぎょん誕生。3,000g。病院について30分のスピード出産だった。それなりの地獄は見たが、思いのほかスルッと出てくれた親孝行の次女である。うちには男の子の運がないようだ。アッパは今回もガッカリしたが、うんじの時ほどではないようだ。

待機室へ戻って、うんぎょんと対面。予定より早く出てきたせいか、頭中に脂肪がこびりついている(産湯につかってある程度は落ちていたが、、)。髪の毛はちょっと天パがかかってクリクリしている。韓国ではコプスルモリ(天然パーマの頭)は好まれない。顔ものっぺりとして、うんじよりぶさいくだ。といっても誰にも文句を言えないが、、、

今回は産後の調子がよいので、次の日退院した。例のごとく、またしばらくお兄さんの家に厄介になる。アッパはまた一人で日本に帰っていった。




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